ルックバック考察と感想|if世界を超えて過去を力に変える物語

こんにちは!りさです。
さてさて、ずっと見たいなーと思っていたアニメ映画『ルックバック』を見ましたよ・・・!
一言感想を書くなら、
人が頑張れるのは、〝誰かのため〟なんだな
っていうこと。
私自身、『ルックバック』を見て、
まるで電流が走ったようにエネルギーが湧いてきました。
昔、少しだけ漫画を描いていたので、
「今すぐペンを握って、漫画を描きたい・・・!」
って衝動に駆られたほどです。
1時間弱という短い時間にもかかわらず、
青春がぎゅっと凝縮されているような濃密さ。
終始、胸を締めつけるような懐かしさと切なさが同居していて、
「あの頃、私もこんな風に夢中だったな…」と
遠い日の自分を思い出してしまいました。
私以外にもきっと、そんな風に
昔の〝何かに夢中になれた自分〟を思い出す方もいるはず。
それに加えて、人と関わることの尊さを
強く感じられる作品だと感じました。
今回は、映画『ルックバック』のあらすじを簡単にご紹介しながら、
私自身の体験を振り返って感じたことを綴ってみますね。
この作品を見たら、
なんとなーくで毎日を過ごしている方も、
昔の情熱を思い出すきっかけになるかもしれません。
そして「これから、どうやって生きよう?」
って考える機会にもなるのではないかと思います。
『ルックバック』のあらすじ・ネタバレ
『ルックバック』は、2人の少女の物語。
小学校の学校新聞に4コマ漫画を描いていた活発な少女・藤野(ふじの)と、
引きこもり気味で絵を描き続けている京本(きょうもと)が主人公です。
最初は、藤野は自分の漫画が学校内で好評であることに
自信を持っていました。
ところがある日、新聞に一緒に掲載されることになった
京本の絵の圧倒的な上手さを目にして、
藤野は強い対抗心を燃やします。
それと同時に、京本も藤野の勢いある絵に影響され、
「もっと描いてみたい」と思うように。
そのうち、二人で合作漫画を描いたり、
切磋琢磨し合う関係になっていきます。

そして、互いに同じ夢「漫画家」を目指し始めるのですが、
いつの間にか二人は違う方向を向いていて、
最終的に、別々に活動を始めます。
距離は開くものの、互いに作品を認め合う気持ちや
刺激を与え合う関係は続いていました。
しかし、物語の後半、思いがけない悲劇が起こり、
藤野は深い喪失感と後悔を抱えます。
そこから物語は、ifの世界に。
「もし自分が別の行動をしていたら、あのときこうしていたら」
といった〝もしも〟の世界が描かれ、
それでも、失ってしまったものは戻らないことを知ります。
一度は漫画を描く手を止めてしまう藤野でしたが、
京本との思い出や時間が、〝かけがえのない力〟だったと気づいたとき、
再び筆を取ることを決意するのでした。
ルックバックには私の根源が詰まっていた
私が『ルックバック』を見て一番感じたのは、
「刺激し合える仲間の存在」でした。
作中では、ふたりの少女が互いを意識し、
尊敬し合うことでどんどん成長していきます。
そんな彼女たちを見て、
「ああ、私にもそんな時期があったな」と、
どうしようもなく心が震えたんです。
・・・ちょっと自分語りさせてください。
私も、小一から絵画教室に通っていたのもあって
絵を描くのが元々好きでした。
学校の美術の作品も、優秀作品に選ばれることも多く、
「自分は絵が得意なんだ」
となんとなく思い込んでいたんです笑
というか、描くことで自分を見出していたというか。
塾のテストの時間も、
できるだけ早く問題を解いては
プリントの裏に絵を描く。
先生からしたら呆れてしまう行動ですが、
それだけ描くことに執着していたんです。

でも、中学になるとネットには上手い人がゴロゴロいることを知り、自信は粉々。
悔しくて悔しくて、必死に描きまくっていた時期もありました。
ペンタブを手に入れてからは
自分のホームページを作ったり、
少しずつ同人誌を出してみたり。
誰かが私の作品を買ってくれるだけで本当にうれしくて、
「いつか同人作家として食べていけたら最高だな」
なんて夢を膨らませていました。
だけど、世間を見渡すと、やっぱりいくらでも上手い人がいて、
自信をなくすこともどんどん増えて、
次第に、絵を描くこともやめてしまったんですね。
きっと、こういう挫折経験、
誰しも通る道なんだと思うんですけど。
私は、ずっとifの世界に囚われていました。
もし。
私にも、ああやって尊敬できる相手が身近にいて、
お互いの夢を共有できていたら。
もし。
相談できる相手がいて、時には叱ってくれて、
そして両親も応援してくれたら。
もしかしたら、もしかしたら。
『ルックバック』も同じで、
藤野の「もしかしたら」の世界が描かれます。
もし、藤野と京本が出会わなかったら──。
でも、そうじゃない。
あの出来事があったから、
藤野はさらに強くなて、京本の思いも背負って
漫画を描くって決めることができたんです。
私の場合、数年前まで、小学校からやり直したいと思っていましたし、
「過去に戻れるなら、あのときもっと・・・」って
ネガティブに〝ルックバック〟することも多くて。
「過去に戻らなくてもいい」と思える人は特殊な人だ。
ほとんどの人は、「過去に戻りたい」と思っている。
そんな捻くれた考えまで持っていました。
ifに縛られなくなったわけ

ですが、ブログやSNSで発信していく中で、
いつの間にか「過去に戻りたいとは思わない」と
心の底から言えるようになりました。
それは、過去に挫折したことや悔しかった思いを発信したこと。
そうしたら、意外にも読んでくださった方から、
「すごく共感しました」
「私も同じ経験があって、励まされました!」
といったコメントやメッセージをいただいて。
実はそれまで、
「こんな黒歴史、誰にも知られたくないし、思い出したくない」
とさえ思っていたんですよ。
だけど、想像以上に多くの人が〝同じ痛み〟を抱えていて、
私の投稿を読んで「救われた」と言ってくれた。
このとき初めて、
「後悔していた過去が、誰かの役に立つかもしれない」
と自分を肯定できるような気がしました。
それまでの私にとってはやり直したい過去ばかりだったのに、
人の心を動かす材料になり得るんだと気づいたら、
過去の出来事は、ただの失敗じゃないって。
そう思えた瞬間、これまでモヤモヤしていた自分の過去が
一気に〝これからの私を支えるエネルギー〟に変わったんですよね。
過去の自分や出来事があったからこそ、
いまこうして〝やりたいこと〟や〝書きたいこと〟が見つかったり、
誰かに共感を届けられる文章が書けるようになった。
過去に起きた全ての出来事が、今後の布石だったんです。
・絵を描くのが好きだった過去
・同人誌を出した挑戦
・絵が上手い人を前に打ちのめされた挫折
・時間がなくなって絵を描くのをやめてしまったブランク
・「あのとき相談できたら・・・」と悔やむ気持ち
その全部が、今の私の〝糧〟になっています。
新卒で入った会社、やりがいは微塵もなく、
でも、だからこそ、5年前にブログをやろうと思えた。
ブログを始めたから、今こうして発信できるようになって、
普通の生活をしていたら出会わなかったであろう仲間と出会えた。
全てが繋がって、循環しているんです。
だから、『ルックバック』で描かれるifの世界を見て、
自分の人生に対しても「もうやり直したいとは思わない」と
心から言えるようになったんです。
もちろん、振り返ってみれば「やっちまってんなー」と思う過去は
誰しもあると思います。
でも、『ルックバック』が教えてくれるのは、
「それでも前に進むしかない」という覚悟
「やり直したい」と思うほど大切だった時間
それらすべて抱えて生きていく尊さです。
過去の目を逸らしたい自分も、丸ごと受け止める。
そうすると、不思議と過去が「重荷」ではなく、
〝これからの力〟として背中を押してくれるんですよね。
あなたにも、「昔のあれがあったから、いま私がある」
と振り返られる瞬間はないでしょうか。
『ルックバック』でも、
藤野は過去の喪失や後悔をすべて抱えつつも、
「それでも前に進むしかない」という道を選びます。
後ろを振り返ることは、
決して悲しみや怒りだけを思い出す時間じゃなく、
「やり直したい」と思うほど大切だった過去を〝これからの力〟に変える行為
そうやって考えると、
振り返ることすらも愛おしい時間になりますね。
誰かのために頑張れる未来を
やっぱり、人って「誰かの存在」があるからこそ、
想像以上の力を発揮できるもの。
『ルックバック』でも、藤野が「もっと上手くなりたい」と思えたのは、
京本という存在があったから。
そして、京本も、藤本先生に強烈な憧れを抱いたから、
外に出れたし、夢を持つこともできた。
(ここ、めっちゃ尊すぎるな・・・?)
一人だったら、「まあこれくらいでいいか」って手を抜いたかもしれない。
でも、仲間がいたから、「もっと頑張ろう」ともうひと頑張りできる。
これは創作に限らず、仕事やスポーツ、勉強でも同じ。
自分がやっていることが誰かの役に立つとか、
誰かが待っていてくれると分かるだけで、
想像以上の力を発揮できるものです。
もちろん、「誰かのため」と言っても、
それが重荷や義務感ばかりになってしまうと苦しくなります。
理想は、お互いを高め合う関係。
相手の才能や努力を認めて、刺激を受けて自分も頑張ること。
自分が頑張る姿を見せることで、相手にも前向きな影響を与えること。
こうした循環こそが、
『ルックバック』の中で藤野と京本が体現した関係性です。
「その人がいなかったら、自分はここまで頑張れなかった」
そんな存在が身近にいれば、
人生はとっても豊かになるのではないでしょうか。
「でも、私の周りにはそんな仲間いないよ、、」
そう思う方も、どうか諦めないでください。
今から探すのだって遅くはないし、
私自身もそんな仲間と出会うために発信をしています。
あなたも〝今から〟歩き出せる

実を言うと、私も最初から〝刺激し合える仲間〟がいたわけじゃないし、
今だって迷ったり悩んだりしてばかりです。
でも、だからこそ言いたいんです。
「今からでも遅くないよ」って。
私自身、ずっと「人生もう手遅れだ」と思っていた。
でも、ブログを始めて人生が変わった。
過去の挫折や後悔すらも、
今の私にとっては「これからを作る力」だと思っています。
もし周りに、刺激し合える相手がいないなら、
今から見つければいいだけの話。
SNSやブログ、イベントなど、
出会いの場はたくさんあります。
「この人の言っていること、好きだな」と思ったら、
思い切って声をかけてみるのもアリです。
私もそういう仲間と、もっと繋がりたいと思っている一人です。
そういった仲間と、
悩んだことや楽しいと思ったことを共有したいし、
ビジネスの面でもお互いを刺激し合いながら成長していきたい。
結局、人は一人では生きられない。
仲間がいることで、何倍もパワーアップできるんですよね。
今までのあなたの経験、後悔、挫折
それら全てが無駄じゃなかったと感じられる瞬間を、
ぜひこれから一緒に作っていきましょう。
「自分には何もない」と思っても、
蓋を開けてみると、誰かを助けられる武器があるかもしれない。
「やり直したいほど悔しかった過去」があるなら、
その悔しさは今、新しい挑戦のエネルギーに変えられるかもしれない。
私が『ルックバック』を見て感じたのは、
「人は、誰かを思うからこそ強くなれる」
ということです。
やっぱり尊いよね・・・、うん。
過去に対して感じていたもやもやすらも、
誰かと共有したり、発信したりするうちに、
〝これからの力〟へと変わっていく。
そして、あなたの発信が、
巡り巡って誰かの背中を押すこともあるし、
その〝誰か〟がまた別の誰かに力を与えて――
そうやってどんどん循環していくんです。
そう考えると、私たちが今ここで起こす小さなアクションこそ、
大きな流れを生むスタートラインになるんじゃないでしょうか。
これからは「文章」で、私のストーリーを届けたい
今、私がやりたいのは、
もっともっとブログやストーリーライティングを通して
世界を広げていくこと。
昔の私が「絵」でやりたかったことを、
今は「文章」で実現できるんじゃないかと思っています。
『ルックバック』は、過去の自分を思い出させてくれた作品でした。
私自身は、今こうして文章を書いている時間がとても幸せです。
これからも自分の思いを伝えるための手段として、
どんどんブログを広めていきたいと思っています。
そしていつか、そのストーリーの先にいる
仲間とお互いを刺激し合い、尊敬し合える関係を築けたら。
それこそが私の〝ルックバック〟なのかもしれません。
もしあなたが、私と同じように「表現したい」
という思いがあるなら、
このブログを通じて一歩踏み出すきっかけになれたら嬉しいです。
SNSに思い切って一言投稿してみる
ブログを開設して自分の言葉を発信してみる
イベントやコミュニティに顔を出して、同じ志を持つ人と交流してみる
どんな形でも構いません。
一緒に、〝誰かのために頑張れる未来〟を作っていきましょう。
ということで、今日はこの辺で。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!